【書籍】・「網状言論F改」 東浩紀:編著(2003、青土社) [bk1] [amazon]
「オタク」、「セクシャリティ」、「ポストモダン」などについて言及した本。
2001年9月のプレゼンテーションに加え、東浩紀・斎藤環・小谷真里の語り下ろし鼎談、伊藤剛、永山薫による書き下ろし原稿を収録。
プレゼンテーションはそれなりに意味がわかったのだが、その後の鼎談になるとサッパリわからなくなった。伊藤剛、永山薫両氏の比較的現場に根ざしたと思える文章は理解できるのだが。これが「ピンの上に天使が何人止まれるか」とかいうやつか……?
疑問やひっかかりもいちいちあるが、それはいちいち上げていたらキリがないし、自己言及されている部分もあるし別にイイと思う。
しかし、鼎談の雰囲気としては、東浩紀が他の二人に「あなた方は政治的だ」と言って二人が否定したら「否定したところが政治的だ」とかなんとか言ってて、もうそこら辺でわけがわからなくなって、という感じか。
「愛國戦隊大日本」(私は未見。写真とかしかない)に政治的意味があったかなかったか、つくった本人はそう思っていなかったんだけど実はあったんだとかなかったんだとか、そういう議論も、もうどうでもいいです。
そりゃ、あると言えばないし、ないと言えばないということになっちゃうでしょ。
――しかし、岡田斗司夫も大塚英志もあえて抑圧してきた「抜き」の問題を、私が身も蓋もなく暴露したという歴史的経緯から逆戻りするべきじゃないと思うんですけど
(斎藤)
……というくだりでは、そうかー、そういうこと自分で言っちゃうんだー、などと思った。確かに評論分野では見て見ぬフリをされてきたとはいえ、「現場」では自明のことであったし、私個人は何も精神分析的な方法論ですることはなかっただろうと思っている。おかげでかえってわけがわからなくなった部分はあるしなー。
いくつか参考、勉強になった部分もあったが、それも言及するのはめんどうくさいからやめておく。
なぜ心なしかなげやりな文章になっているかというと、この本全体がちょっととっちらかりすぎている印象だからだ。
「オタク」というテーマでなかなか絞りきれていない印象。
私個人としては、「オタク」とか「萌え」をテーマにして、本書のように若干抽象的な議論をするのはもう限界だろうと感じた。これ以上は、ますますわやくちゃになって問題を複雑化するだけだろう。
「オタクとは何か」という問いでこれだけ答えが散逸してしまうという理由は、仮説としては3つある。
・「オタク」は、過去の文献が散逸してしまい、あるいはフィールドワークがなっていないために、分析するにたる資料が完全には揃っていない。
・「オタク」は、まだ時間軸で見て完成、完結していないために、将来的に出て来るであろう未知の要素抜きの分析には限界がある。
・「オタクとは何か?」という問いそのものが間違っているから、答えが出ない。
上記3つのうち、1番目と3番目については本書も言及がある。しかしそれは単に「こういうことも考慮に入れていますよ」というエクスキューズにとどまっている。
私個人が最も足りないと思うのは、当事者インタビューとか過去にどういうアニメ作品がどれくらい観客を動員したとか、どういうイベントが行われたかといった歴史的事実の把握だ。
たとえば本書の中で「80年代ロリコンブームは、最初はシャレだったが、後に本当にロリっぽいマンガの絵で抜けるヤツが出てきた」という発言が出てくるが、このあたりの雰囲気を今実感しようとするのはたいへんむずかしいだろう。
ただ、瓢箪から駒が出たような、たとえば最初にケネス・アーノルドが見た「空飛ぶ円盤」が円盤型をしてはいなかったのに後の目撃例に円盤型が頻出したというようなたぐいの問題でもない。
事実、私は80年当時は中学生だったが、それまでの官能劇画っぽい絵ではない、当時だったら高橋留美子みたいな絵柄のマンガにエロスを感じるというのはオタクでないやつでも同級生はみんな普通に受容していた。
そういう意味から言っても、本書に書かれているとおり、みんなもっと「自分語り」をすべきなのかもしれん。まあケムったいもんだが、ウザさから言えば「おれ評論」とどっこいどっこいだと思うしね。
話はそれるが、「オタク」というのは名付けられたときからマイナスイメージである。「オタク」と聞いて「ああ、気持ちの悪いあいつね」と特定の知人が思い浮かぶ人も多いと思う。それだったら、センスエリートとしてのオタクではなく、本当にそういう「一般的に気持ち悪い人」50人くらいにインタビューしてみたらどうだろう。
絶対何かがわかると思う。「オタク論」に必要なのは、考察と同時に「資料となる数を集めること」であると思うし。
「本当に気持ち悪いタイプのオタク」に、実際に話を聞いてみる企画は私の知るかぎり意外なほどない。オタクにまみれている人にとってはそういう人こそ「避けたい人」だし、そういう人の話はたいていつまらないし。
しかし、気づいてみると「いわゆる気持ち悪い人」は、オタクコミュニティの中では「困った○○さん」みたいになっていて表面には出てこないし、オタクでない人にとっては、オタク内ではわりかし普通の人でも「キモイ人」になってたりする。
言い方は悪いがトライブにおいて内部、あるいは外部を見て認識される、一種の妖怪みたいになってると思う。
で、50人くらいインタビューすると、案外共通点がないことがわかったりするんだよね。妖怪=都市伝説なんてそんなものだよなあ。
実際にアイドルオタク4、5人の「気持ち悪い人」にインタビューしたのが金井覚の「アイドルバビロン」[bk1] [amazon]で、検索かけたらまだ手に入るらしい。斎藤環が「抜きを明らかにした」と自画自賛できるならば、こちらも「キモイ人」に体当たり取材したという点で個人的には意義深いと思うんだけどなあ。
「ゴミ屋敷の人」とかそういうのはわりとトピックになるけど、そうじゃなくてもっと微妙な線をついていたと思うし。
あと、「網状言論F」については、「モーヲタ」の生態も対象にいれれば、まだ前進的な感じになるかなと思いました。そういう意味では、オタクもまだまだ現在進行形だね。
などと、まとまりがないまま、おわる。
・「動物化するポストモダン」感想
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(03.0201)